2018/09/28 15:44


黒田長政、竹中重門の陣跡でもある、国指定史跡『関ケ原古戦場』の附指定『岡山烽火場』です。
黒田長政、竹中重門双方の親である小寺官兵衛、竹中半兵衛は共に羽柴秀吉の織田信長家臣時代の軍師でした。
小寺官兵衛が一時、敵に捕らえられて行方不明になった時に、寝返ったと勘違いした秀吉に長政を殺すように命じられた半兵衛が、主命に反しかくまっていたことから、黒田長政は竹中家に対し恩義を感じていたことでしょう。
(G党)
2018/09/21 15:09

石田三成陣跡のある笹尾山から主戦場になったあたりを見た写真です。
左の山の麓には徳川家康の陣がある桃配山があり、どちらも関ケ原が一望出来、指揮をとるのに良い場所なのが解ります。

上の写真より右側を見た写真です、奥から二番目の山が小早川秀秋の陣がある松尾山です、西軍だった小早川秀秋の東軍参加により西軍の敗退が決まりました。
(G党)
2018/09/13 14:12
続いては西軍の総大将、国指定史跡『関ケ原古戦場』の附指定『石田三成陣跡』です。


石田三成はAM1:00頃到着して、合戦の決着がついたPM2:00頃までここに布陣していました。
(G党)
2018/09/04 11:09
国指定史跡『関ケ原古戦場』巡りをして来ました。


まずは東軍の総大将『徳川家康最初陣地跡』です、国指定史跡『関ケ原古戦場』の附指定になっています。
因みに、この陣地がある『桃配山』の名は、壬申の乱で大海人皇子(のちの天武天皇がこの地で兵士に桃を配った事に由来するそうです。
『徳川家康最初陣地後』の通り、合戦が始まるAM8:00前のAM6:00頃からAM11:00までここに陣取ったそうです。
(G党)